■ このページは1999年度に作った物の再掲載です。
■1980年12月8日午後10時50分(日本時間9日午後12時50分)ごろ、ニューヨークのダコタ・ハウスの前でジョンが5発の銃弾に倒れる。ルーズベルト病院に運ばれるが出血多量で11時15分ごろ死亡。
Imagine there's no countries It isn't hard to do今年もこの日がやって来ました。今から19年前の1980年12月8日
John Lennonは熱狂的?ファンの放った銃弾によってこの世を去りました。
当時、僕はまだデザインの専門学校の学生でした。
その日も、同じグラフィックデザイン科の友人とおしゃべりしながら
街を歩いているとき、ふと覗いた電気店のショーウインドウのテレビの画面の
下の部分に、そのニュース速報が流れていたのです。
「元ビートルズのジョン・レノン射殺される…」一瞬、あまりの事にそれが何を意味するのか把握できないくらいの動揺がありました。
「えっ!ジョンが…」「射殺?…」「死んだ?ジョンが?…」それは、あまりにも突然で。あまりにも悲しいニュースでした。中学一年の頃、テレビで見たEDWINのジーンズのCMのバックに流れていた「SHE LOVES YOU」で衝撃を受けて以来。中学、高校と僕の生活のほとんどをビートルズを聴く事についやしていた僕にとっては、ビートルズは単なるビートルズではなく、ジョン・レノンは単なるジョン・レノンではなくなっていた(おかしな言い方ですけど…)のです。それは価値観の根本であり、思想の模範であり、存在が生活の一部と化していたのです。
朝は登校時間ぎりぎりまでビートルズを聴き、学校の昼休みには持ち込んだラジカセでビートルズを聴き、夜寝る時もビートルズを聴きながら寝ました。ギターを弾くようになり、ビートルズの曲をコピーし、髪を伸ばし、仲間とバンドをやったり。僕の学生時代の大部分をビートルズとジョン・レノンと過ごして来たのです。
ですから、この日、このニュースを聴いた時のショックは大変なものでした。鉛の様に重たい気持ちと足をひきずり、うちに帰るとテレビやラジオはこのニュースを繰り返しています。この日は、とうとう眠れずに一晩中、ジョンの曲をビートルズの曲を聴いていました。
あれから、あっという間に約20年と言う月日が流れ、僕は大人になり、おじさんと言われる歳になり、毎日仕事にいそがしい日々を送っている今でも、自分の根本の部分は、あの頃となんら変わっていないような気がします。(いまだに、職場の同僚とビートルズのコピーバンドもやってますし…(笑))
毎年この時期になるとラジオから流れてくるジョンの「ハッピークリスマス」や「イマジン」を聴くと今でも自然に涙が出てしまうのです。歳甲斐もなく…それは、ほんとにただ単純に感動の涙なのです。
これらの曲はほんとに聴く度に、いつも僕に新鮮な感動を与えてくれるのです。
『イマジン』
想像してごらん?
天国なんてないんだ。とっても簡単な事さ
僕等の足元には地獄なんて物もないし、
見上げれば、そこには空が広がっているだけ。
想像してごらん?
国境なんてないんだって
そんなにむづかしいことじゃない
殺すことも殺されることもなく
宗教すらもない
想像してごらん?
みんなが平和に暮らしている世界を
欲することも飢えることもない
人類の兄弟愛
世界を分かち合っている人々のことを考えてごらん
君は僕のことを空想家と言うかもしれない
でもそれは僕1人じゃない
いつか君も僕らの仲間に加わってくれたらいいのだけれど
そして、いつか世界は1つになるんだ。
by John Lennon
ジョンが歌ったこの夢が、僕が生きている間に実現されるかどうかわからないけど、いつかは、この曲の様に「世界がひとつになる」世の中がいつか実現されるはずだと僕は、そう思っている。本気でそう思っている。そう信じて生きて行きたいと思っている。
平和を愛し、人を愛し、家族を愛した偉大なるジョンの魂よ永遠に…
1999年12月8日 なぐ
今年もこの日が来たので…以前書いたものを再掲載してみました。